2006年9月29日

【告知】全ての「共犯者」の皆様へ

前回のエントリーをupしてから、これまでとは比較にならないアクセス数を記録しています。アクセス解析を眺めていると、「友人まで公開」に設定されているmixi日記から飛んできてる方が結構いて、一体どんなことを書いているのだろうかと、あれこれ考える今日この頃です。「とんでもないこと書いてしまったんだな…」と思わないでもないですが、後悔先に立たず。こうなったら虚勢でも何でもいいから腹くくってやるしかないと考えている次第です。

さて、明日はいよいよ新潟戦です。チーム状態は芳しくありませんが、「後ろは振り返るなよ 前だけを見てゆこうぜ」(the midwest vikings「Let's Kick Go Go Blue And Red Boys」)の精神で選手を後押ししていきましょう。
「共犯者って何やねん?」という方は前回のエントリーを参照して、乗っていただける方は是非ともよろしくお願いします。改めて詳細について記します。前回と変わってるところもありますのでご確認下さい

・集結時間…1400から10分間(土肥入場までにはスタンド内に)
・集結場所…コンコース上のバック・ゴール裏を仕切る柵からゴール裏中心部までのどこか
・観戦場所…ゴール裏バックスタンドの端(最初からここにいても構いません。)
・目印…レプリカ(背番号12)を着た老け顔が、上述の場所で下のゲーフラを掲げています
頑張れ、俺達のワシントン

ワシントンの出場は微妙とのことで別のゲーフラを作ろうかとも思いましたが、これから先も出場機会はあるでしょうし、早く怪我治してくれよ!という願いも込めまして初志貫徹しました。
何はともあれ、明日はよろしくお願いします

2006年9月25日

「共犯者」募集 -全ての東京サポーターへ-

我々の間にチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在しない。
必要なのはスタンドプレーの結果として生じるチームワークだけだ。

東京のゴール裏で時たま起こる自然発生的なチャントは、個人の「スタンドプレー」に周りが合わせる「チームワーク」の結果生じるものだと思っている。京都戦のワシントンコールもそうだし、アウェイでのマリノス戦での増嶋コールもそうだろう。だが、スタンドプレーがスタンドプレーで終わってしまう場合が圧倒的だ。中心部に合わせていれば楽だし、「何とかしたい」という意思を持っていても、周りにいるサポーターがどんな人間か分からないため、躊躇うこともある。
昨日の鹿島戦、3点差がついてから2点差にするまで、ゴール裏は沈黙していた。中には「負けているからこそ声を出して選手をサポートするのがサポーターじゃないか」と考える者だっていただろう。だが、沈黙を破って行動するというのはかなりの度胸がいるものだ。「個人で判断して行動しよう」というフレーズは、ウェブ上などで行われる東京サポーターの応援議論でよく使われるが、誰しもがやろうと思ってできるわけではない。結局、沈黙する多数派に埋没してしまう。このような状況をメディア用語で「沈黙の螺旋」というのだけれど、多数派の行動に尻込みしてしまって少数派の意見そのものが多数派に埋没してしまう状況というのは、色んな意味であまり好ましいものではないと考える。

ならば、個人のスタンドプレーがチームワークにつながりやすい、個人の考えを行動に結びつきやすい「場」を作れないものなのだろうか。
それを実現するべく、このblogをお読みになっている全ての東京サポーターに向けて「共犯者」を募りたい。別に中心部に取って代わろうだとか、分裂応援しようとか、そんな物騒なことは考えていないし、私はゴール裏の「政治」に一切興味がない。あくまでピッチで戦う選手をサポートするための手段として、こんな試みはどうですか?というオルタナティブな選択肢を模索したいだけだ(その中で分裂と写る場面もあるかもしれないけれど…)

老若男女を問わず、様々な方々に協力していただきたい。ネット上で何やら言われるかもしれないが、批判はともかく、非難や中傷の矢面に立つのは私一人なんで、気軽にご参加いただきたい。
あまり書かなくてもいいことなのかもしれないが、私が一番交流を持ちたい、参加していただきたいと考えてるタイプのサポーターを問われれば、以下の述べるタイプのサポーターだ。
かつてのゴール裏を体験していた方々、そして友人がいないわけではないけれど、スタジアムに限っては一人で行動している方々だ。
前者に関しては、かつての東京がどんなものだったのかという昔話を聞いてみたいというのもあるし、仮に現在のゴール裏を「楽しくない」と感じているならこの「場」を利用してもう一度楽しかった頃を再構築してみませんか、というお誘いでもある。
後者に関しては基本的に私のことなのだが、スタジアムで横のつながりを作るのは難しいところがあるので、この「場」が色々な人と知り合える機会になればいいな、と考えている。


ここからは敬体にて。以下に詳細を記しておきます。
・集結時刻 1400。土肥入場までにはスタンドにいたいので10分くらいでしょうか。
・集結場所 バックスタンドとホームゴール裏を仕切る柵から、ホームゴール裏中心部までのどこか
・観戦場所 集まる人数にもよるけれど、今のところはゴール裏・バックグランド側の端

使い古された表現を使えば「熱い奴集まれ!!」です。個人的には円陣後(もしくは出場時)にワシントンコール、復帰すれば増嶋や規郎へのコールなどを切りたいと考えています(あくまで中心がコールしない場合に限りますが)。後は試合前にthe midwest vikingsの「VAMOS! TOKYO」を歌いたい、という野望を持ってますが、これは今回の試みが仮に上手くいった時に考えます。歌詞の内容から、試合前の景気付けには最高だと思うのですが…。
試合中に関しては上に書いたように、それぞれの「スタンドプレー」が全てです。少なくとも周りのサポーターはこの文章を読んだ方々ばかりですから、気兼ねなくやっちゃってください。
14時には上述の場所に、目印として下のゲーフラを掲げるか目に付きやすい場所に配置しておきます。
目印

スローガンは「個にして最強 揃えば無敵」といった感じです。
最後にこの集まりのコードネームを、上の引用文が出てきた作品に敬意を表して「東京9課」と仮に設定しておきます。これで一部から「アニヲタ」と叩かれるかもしれませんが、その辺は気にしません。いい作品はジャンル問わず素晴らしいと言えるのが私の長所ですから。
何はともあれよろしくお願いします。

2006年9月24日

想像以上の「食事情」 -J1第24節 vs鹿島(カシマ)-

ネット上などでカシマサッカースタジアムのスタジアムグルメを誰しもが絶賛するので、それほど凄いものかをこの目と胃袋で確かめるべく、今日の試合はアウェイ側ではなくバックスタンドで観戦した。去年観戦に行ったのは11月で、風が冷たかった上に売店が少なかったこともあり、あまりいい印象を抱いていなかったのだが、今回の観戦で完全に覆った。レプリカを脱いでバックスタンドからメインスタンドまで散歩に行ったのだが、私の予想を遥かに超える充実度で、正直圧倒された。スタジアムに漂う焼きソバやお好み焼き、焼き鳥などの匂いは食欲、そしてビール欲をかきたてる。やはり売店で火が使えるのは大きい。牛串にキムカツ、モツ煮とビール、メロンパンを食したところで胃袋はギブアップ。沢山の出店で掲げてあるメニューから同一のものを避けたとしても、全種類を制覇するまで一体何年かかるのだろう。

試合について少しだけ言及すると、一体フェルナンドのチェックは誰の役割だったのか。3点目の失点は2点目の失点のリプレイを見ているかのようだった。セットプレーでの失点はここ数試合の課題となっているわけだが、それが一向に改善されないようだと、他クラブの選手達は「セットプレーなら絶対に取れる」と自信を持ってくるだろう。メンタルの差が試合の趨勢を決めることはよくあることなので、穴を完全に埋めろとは言わないがせめて埋める努力は徹底してやって欲しい。同点の場面で後半ロスタイム、セットプレーから失点して敗れるシーンなど、誰が見たいというのか。

「試合数>勝ち点差」になれば安全圏だと語られている。これを信じるならば自動降格ラインに転落する危機はひとまず去ったと言えよう。しかしながら一般論は所詮一般論であるから、全く油断はできない。その為にも、次節の新潟戦は絶対に負けられない。コンディションやチームへの浸透度などを考慮せず、安易に「新潟戦は平山のお披露目をする試合」などと煽るメディアの戯言に耳を貸す必要はないし、今の東京にそんな余裕は全くないと考える。戦力にならないと判断したなら、迷わずベンチ入りさせないくらいの気概をコーチ陣には持っていて欲しい。

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2006年9月16日

もっとシュートを、ワシントンにコールを -J1第23節 vs京都(西京極)-

今日の試合はMXで録画放送されるということだったので、情報を遮断した上で観戦した。放送終了後、「遮断しておいてよかったな」と思った。もし負け試合だと分かっていたらそれだけで視聴する意欲が失せてしまうし、今日のようなスコアならばパウリーニョのゴールが決まってから試合終了まで、東京の選手がゴールを奪えないシーンを延々と見続けなければならない。その行為は苦行以外の何物でもない。中には情報遮断に失敗したサポーターもいたことだろう。それでも尚、試合終了まできちんと見続けた方々には個人的に敬意を評したい。スポーツ中継は、やはり生中継に限る。

どれだけ真実味があるかは分からないが、降格争いのラインは「試合数×0.8」がある程度の目安になるそうだ。23節終了時点での数字は「18.4」。東京の勝ち点が27なので、4連敗したとは言え、一応安全圏ではある。しかしながら目安はあくまで目安であるし、このまま連敗を重ねていけばあっという間に降格争いに参加しなければならなくなる。そうならないためには、やはり得点が必要だ。ここ数試合チャンスがあっても決められない展開が続いているけれど、それでもシュートを打たなきゃ点は入らない。点を取られたからといって気持ちが切れるのは論外、決めきれなかったからと言っていちいち落ち込む必要はない。指導1ヶ月が妥当と思えるレフェリーのジャッジにいらついている余裕はない。外したことに関しては試合後大いに反省すればいい。だから試合中は切り替えて次のシュートの為、次の次のシュートの為、ひたすらプレイするしか得点を奪う術はない。
今日の試合で京都は5本のシュートで1点を奪った。東京は20本で無得点だった。そのことを以って、「慎重に攻めること」を意識するのは構わない。だが、慎重さをアリバイにしてシュートを打つ意識そのものが低下してしまうことだけは避けて欲しい。むしろ「次の試合は30本打ってやる」くらいの気持ちでいて欲しいものだ。

今日の試合で点を取るための「愚直さ」を前面に押し出してプレイしていたのは、ワシントンだったと個人的には感じた。結果として退場してしまったけれど、今回中継を担当していたKBSの解説者は2枚目のイエローカードに対して「厳しすぎると私は感じた」「あれがイエローだったらFWは何もできない」といった感じの発言をして、ワシントンのプレイを擁護していた。惜しいシュートも何本か打ったし、初出場となった浦和戦に比べればチームにフィットしていることは明らかだった。にもかかわらず、コールリーダーの先導による彼へのコールは一度として聞かれなかったことは残念でならないし、自然発生的に起こったであろうワシントンコールに乗ったサポーターの方々には、ネットスラングで申し訳ないけれど「GJ!」と感謝の意を表したい。
前任者の秘蔵っ子として来日したワシントンに対し、ゴール裏の中心部がどのような認識でいるのかは知らないが、もし「前任者の残党」などいったメンタリティーで応援拒否が続くのであれば、彼らはもはや「サポーター」と呼ぶに値しないと言ってもいいだろう。経緯はどうあれ、ワシントンは東京というチームの一員として戦う選手である。そしてサポーターがサポーターたりえるのは、ピッチで戦う選手に対して声と手拍子で後押ししているからである(極端な例えだが、京都の中払が万一東京に移籍してきたとしても、決してブーイングで迎えてはならないと思うのだ)。ふがいないプレイをした選手に対してブーイングを飛ばすことと、いいプレイをした時にきちんと拍手なりコールなりでその選手を讃えることは、コインの裏表のような関係で、どちらが欠けても応援として成立しない。

数日前東京の一員となった平山相太に対して、厳しい意見がかなり見受けられる。私自身、補強すべきはFWよりもサイドじゃないのかと感じるが、だからと言って平山を応援しない、東京サポ辞めます(どこかのblogでそういっている方がいた)、などという理論は成り立たない。確かに入団した経緯、会見時の発言を聞いていて厳しい意見を言いたくなる気持ちは分からないでもないが、そういった意見が何かに対する当てこすりではなく、東京での活躍を期待した愛情の裏返しであることを願うばかりだ。

2006年9月 8日

プレーオフ、PSGについて(2006年)

結論から先に書く。リーグ戦の価値を薄めるプレーオフ制度は廃止するべきである。来年から導入されるというポストシーズンゲーム(PSG)の構想は、リーグ戦の価値と日本シリーズの価値の両方を薄める可能性が高いので、導入するべきではない。

マリーンズファンの友人達とこの話をすると、必ずと言っていいほど「お前がホークスファンだから否定するのだ」と言われるのだが、お互い応援する球団のことは脇において考えてみて欲しい。プレーオフ制度とは残酷な制度である。リーグ戦135試合を戦い抜いてリーグ1位になっても、その後控える短期決戦(全5戦)に敗れれば全てを失うのだ。「強いチームは短期決戦でも強いもの」などという意見は幻想に過ぎない。勝負に絶対はないし、弱いと言われるイーグルスだって年間30勝はできる。短期決戦において最重要されるのは、チームとしての総合力よりも「勢い」であることは、昨年の日本シリーズで証明された。

その日本シリーズが、来期からは「ポストシーズンゲーム(PSG)」という形式に変更される。「リーグ1位がリーグ覇者」だが、「両リーグの3位以上がプレーオフ形式で戦い、勝ちあがったチームが対決する」という。この「改革」は日本シリーズを実質的に殺すことになる、と言っても過言ではないだろう。日本シリーズに価値があったのは、各リーグの覇者がそれぞれのリーグの面子をかけた短期決戦、という意味合いがあったからこそである。この日ばかりは、例えライバルチームであろうとも、同じリーグの球団を心情的に応援したものだ。名場面を挙げろと言われれば、自分が物心ついた頃からの記憶でも「清原の涙」「巨人はロッテより弱い(ジャイアンツの3連敗4連勝)」「イチローvs野村ID野球」「小林の13球」などがあるし、個人的には99年の日本一(および柳田聖人の発言)と2003年の「内弁慶シリーズ」(宙に舞ったホークス人形、番外編として城島の野村に対する発言)を外すことはできない。「江夏の21球」に関しては、スポーツジャーナリズムのあり方までも変えてしまった。もしPSGが3位チーム同士の対戦となった場合、かつての日本シリーズのような盛り上がりを見せるのだろうか。

優勝争いに参加できる強いチームは人気が出る、それならば制度を変えて優勝争いできるチームを増やせばいいではないか。そんな考えがあってプレーオフ制度、およびPSGは導入されたのだろう。だが、「強ければ人気が出る」というのは必要条件であっても十分条件はない。「強いから」という理由で特定の球団を好きになった人間は、弱くなればあっという間に離れていくものだ(特定の選手が移籍したらあっという間に離れていく人たちように)。また、強いチームが人気球団になれるというのなら、何故「西武黄金時代」に観客動員は減少していったのか説明がつかない。そしてJ.B.Antennaからこのblogにお越しの方々に是非ともお聞きしたい。「あなたが特定のクラブをサポートする理由は、そのクラブが強いからですか?」と。

PSGの導入に伴って交流戦が24試合に削減される、というのも全く理解できない。交流戦を「1つの球団を犠牲にして生まれたもの」と捉えていたマリーンズの選手(私の記憶では渡辺俊介)がいたが、たった2年で削減されてしまった。その理由がほとんど語られぬままに。2004年の騒動は一体何だったのだろう。