2007年4月24日

どんな「色」を塗りたいのか -J1第7節 vs横浜FC(飛田給)-

この日は飛田給で観戦した後、三鷹のスポーツバーで浦和vs川崎を後半から、その後甲府vs柏を観戦した。該当するクラブのサポーターでない者がこの3試合を観戦したら、きっと最後の甲府vs柏戦が一番面白かったのではないかと思う。飛田給からの帰りにこの店を訪れたサポーターの間でも、一言目には「面白い!」という感想が漏れ、二言目には「何でウチもこういうサッカーが出来ないんだろう」と愚痴がこぼれていた。数時間前に東京がホーム・飛田給で初勝利したにも関わらず、である。

自分の愛するクラブが試合で勝利すること、それがサポーターにとって「いいサッカー」であることの大前提で、それを踏まえた上でこの勝利が「次の勝利」に繋がるかどうか思いをめぐらせ、人によっては不安を感じたり、ポジティブになったり、皮肉めいた物言いになったりするのだろう。
飛田給からそのまま真っ直ぐ家に帰れば、たいしたサッカー知識もない私は「勝利」という結果に満足して愉快な気持ちのままいられたのだろう。だが、その後に観戦した二試合のおかげで、勝利の余韻を楽しめなくなった。サイド攻撃と言えば「スピード」という先入観が強い中「遅攻によるサイド攻撃」を浦和相手に展開していた川崎、献身的な運動量で個人技の差を組織で埋めようとする甲府、「王様」に対する絶対的な信頼感と走ることをベースにし、一人少なくなってもその影響を全く感じさせずに力尽きた柏。「色」がはっきりしているのだ。

昨年のワールドカップ、暇なのをいいことに40試合以上をテレビで観戦していて、どのチームにも「こうやって勝つ」「こうやって守る」という共通認識みたいなものを感じ取ることができた。その共通認識を「色」と表現したが、「色」のないチームもあった。我らが日本代表だ。それ以来、「色」のないチームに対する恐怖感を感じるようになった。若きブラジル人が東京を率いた2006年の前半戦、私の目には彼がどんな「色」を付けようとしているのか見えず、自分から見ようともしなかった。だから今年は自分なりに理解しようと努めているのだが、はっきりしない。特に攻撃面において。福西とワンチョペが持つ「色」を全体に浸透させたいのか、それとも彼らを指揮官好みの「色」に染め上げようとしているのか。どちらの色も共存させようとしているのか。
そもそもこのクラブが持っていた「色」は何だったのか、私は最近それすらも分からなくなっている。翌日サテライトを初観戦し、小山泰志のプレーに心を躍らせた一方で、相手を問わずチームとしてどんなサッカーを展開していきたいのか、という戦略みたいなものは感じ取れなかった。尤も、対戦相手も構成メンバーも全く異なる2つの試合で共通するテーマがあるのかどうか、議題設定の時点で無茶なのは百も承知だが、控え選手と主力選手が相手に囚われない基礎的なサッカー観を共有することは、チームにとってマイナスにならないはずだ。

次節は神戸戦。衆目を集めるのはやはり代表候補に選出された近藤祐介の存在だろう。果たしてレンタル元を相手にどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。東京サポーターが願う理想の展開はアントニオ猪木が提唱した「風車の理論」で説明できるだろう。「風車の理論」とは「相手の力を限界以上に引き出した上で、自分がさらにその上の力を出して相手を倒す」ことでプロレスファンにはお馴染みだ。祐介は代表に選出されてもおかしくないくらいのパフォーマンスを見せるが勝つのは東京。ただそんな展開にはならないような気がする。

2007年4月20日

公式グッズ普及に向けての支援バナー作成

明日の横浜FC戦は「FC東京グッズを身に着けてFC東京を応援しよう」というキャンペーンが行われる。デザインに関して不満の声が多く聞こえる我がクラブの公式グッズではあるが、クラブ経営にとってグッズ収入は重要な収入源であることは言うまでもない。我々が買え支える商品だと言えよう。そこで今回のキャンペーンを支援するべくバナーを作ってみた。

公式グッズでホームを青赤に染めよう!

ついでにこんなバナーも作ってみた。

類次戦にご注意を!

バナーに関してはご自由にお使い下さい。

2007年4月15日

近藤祐介、代表合宿招集

磐田戦や大分戦のことをまとめて書こうと思ったけれど、何を書いたらいいのか迷っていたらF1マレーシアGPが始まったので視聴しながらネットサーフィンをしていたら、レンタル移籍で神戸へ行っている祐介のプレーぶりがオシムの目に留まったというニュースを見て、F1はどこかへ飛んでいってしまった。出場機会を求めて神戸へ行き42試合出場10得点、入れ替え戦では貴重なアウェーゴールを上げた。レンタル延長で神戸に残り、大久保嘉人が加入したと聞いた時は出番が減るのではないかと思ったがそんなことはなく、これまでのところ全節出場中。しかも3得点。候補とは言え「オシムの目に留まった」ということが自信とならないはずはない。この調子で行けば、今後ますます成長していくことだろう。
彼が出場機会に恵まれなかった理由は色々あるのだろうが、端的に言ってしまえば「ルーカスになれなかったから」ということに尽きるのだろう。代表候補にまで登りつめた祐介に対して「戻ってきて」という声は増えるのだろうが、今の東京が「近藤祐介」という武器を使いこなせるのかどうか、指揮官から必要とされているのかどうか、それが微妙な気がするので気軽に「戻って」とは言えないところがある。サッカー選手にとっての幸せとは、必要とされるチームで試合に出場し、活躍して勝利に貢献すること。それに尽きるのから。
ひとまずは「代表候補」ではなく「代表」としてブルーのユニフォームに袖を通せるよう頑張って下さい、とエールを送りたい。

2007年4月 9日

「FC東京 supporter's SNS」構想メモ

【目的】
 ウェブ上におけるサポーター同士の連携を取りやすくするため
 (例)
  スタジアム内で特定の仲間を持たず、それでいて
  熱心なサポーターがスタジアムで連帯するためのツールとして

【参加資格】
  ・東京サポーターであること
 (以下、初期における時限的措置)
  ・ウェブやblogにおいて1年以上東京に関する文章を執筆した方
  ・過去ログが閲覧可能の状態にあること

【SNSを利用した活動内容(例)】
 ・「遠足」
 ・スタジアム内における集合場所の指定(及びオフ会)


他クラブのサポーターは「サポーター専用SNS」を立ち上げている所も少なくないが、東京にはそれらしいものが創設されていないので、「FC東京サポーター専用のSNS」があってもいいのではないかと思う。こういう時は言いだしっぺがさっさと作ればいいと思うのだが、私は以前こんな試みを行ったこともあるので何かと勘繰られたりもするだろうし、「アマラオを見たことがない上にJ2時代すら体験したことのないお前のような「にわか」が何をでしゃばってるんだ」「お前のような東スタ以降入ってきた新参が、東京の雰囲気をおかしくしているんだから自重しろ」「東京らしさが失われる」等、色んな意見が出ることは予測できるし、私自身呼びかけ人として役者不足であることは十分自覚しているので、今回は「自分だったらこんな風にします」というマニフェストみたいなものを提示するに留め、このエントリーをご覧になった方々からのご意見を拝聴したい。

「お前がやれ」「お前じゃ無理だから止めとけ」「俺ならこうする」「俺に発起人をやらせろ」「参加するからさっさと立ち上げろ」「お前が立ち上げたら俺は絶対参加しない」「( ´_ゝ`)」等のご意見、お待ちしております。何も反応がなければ、この話は「にわかの与太話」として処理してください。

2007年4月 7日

見続けることの幸せ、そして辛さ -J1第5節 vs新潟(飛田給)-

試合後、とあるサポーターの方に教えてもらった三鷹のスポーツバーで中ジョッキを二杯空け、飲み屋で酒を飲んだらそれ以上酒を飲まないにもかかわらず500ml缶を衝動買い、飲みながら更新している。このblogは素面の時にしか更新しないことを決まりにしているのだが、己の掟などどうでもよくなった。思うままに書いてみよう。

テレビではホークスの試合が流れている。ホークスが「南海」から「福岡ダイエー」になった初年度に当たる1989年、平和台で岸川の逆転満塁サヨナラホームランを見て以来ホークスファンになった私が日本一の栄冠に浸ることができたのは10年後の1999年。その間の10年間は苦難の10年間だった。地元に球団のない鹿児島の野球少年達が「強い」というだけで己の好きな球団を西武からヤクルト、そしてオリックスへ変えていく。一方私はホークスファンを公言してきた。九州で唯一のプロ野球球団じゃないか、俺達鹿児島県人がホークスを応援しないで誰が応援するんだ。青臭く、それでいて野球に興味のない人間からすればどうでもいいことを叫んでいたが、当時のホークスは弱かったから散々バカにされた。「弱い球団を応援している奴の気が知れない」と。今でこそ色んなスポーツに興味を持つようになったが、スポーツを応援する時のメンタリティーはこの時期に形成されたと言ってもいいだろう。「入り口」で好きになった球団を、人物を、ずっと応援し続けること。それが私のスタンスなんだと。
2004年、東京に興味を持ち「You'll never walk alone」に圧倒されたのをきっかけとして私はFC東京にのめり込むことになった。程なくして東京はナビスコカップ優勝し、クラブ史上初となるタイトル戴冠の瞬間を生で目撃できたのだが、その時自分で「縛り」を作った。「勝ち逃げ」だけはしないと。成績がいい時だけファンを気取ることだけは、私の中で許されざる行為だからだ。ホークスファンを公言し、散々バカにされた10年間の経験が俺にはあるじゃないか、東京が弱くなったからといってファンを止めることはしない。そう決めた。だが甘かった。ホークスファンだった辛苦の10年間は、言ってみればデータをあさるだけの10年間に過ぎなかったのだ。
私は自分の愛するクラブの試合が観戦できるという環境にずっとあこがれてきた。それがプロ野球やJ1を戦う地元のクラブだったら言うことはない。何て素晴らしい環境なんだろうとずっと思ってきたのだが、東京を追いかけ続けて気付いたのは、諸手を挙げて「素晴らしい」とは言えないということだ。希望の持てない負け試合を見続けることだってあるのだから。そう考えるとJリーグ創設時からの浦和サポーターや「弱い球団」の代名詞として長く語られ続けても甲子園通いを止めなかった阪神ファンには敬意というより畏怖の念を抱く。私はたかだか2、3年の停滞で根を上げそうになるのだから。

柏戦の観戦記で私は「ブーイングを飛ばさない」「自分が望んだことだから、監督批判をしない」と縛りを作ったので、今回の試合に関しても同様のスタンスを取りたい。この苦しみは、スポーツを常に観戦できる環境に身をおけるからこそ生まれる贅沢な悩みなのだ。そして「スポーツバカ」を目指す私にとって、必要不可欠な苦しみなのだろう。

2007年4月 1日

初めての日立台 -J1第4節 vs柏(日立台)-

試合後、周りのサポーターは皆ブーイングで選手を迎えていた。「来なくていいよ」と選手を追い払う仕草をする者。「ちゃんと準備をして試合に臨もう」と声をかける者。試合中は選手がミスをする度にベンチを蹴っていた者もいた(私より観戦歴が長そうな人だったにも関わらず、「東京が日立台でJリーグ公式戦を開催すること」の意味を考えず、器物へ八つ当たりする姿というのは醜い光景以外の何物でもなかった)。私はブーイングはおろか、何の歓声も罵声も飛ばさず、かといって無関心を装うこともなく、礼をする選手達をただ見つめているしかできなかった。今季の東京がチームとして機能していないという指摘は多くの人からなされているが、私は今の現状を「私自身が望んだことだ」と受け止めてしまうのだ。
去年のホーム広島戦、私は当時の指揮官に対する当てつけとして「ハラトーキョー」というコールに乗った(アウェイ浦和戦は私の精神状態がそれどころではなかったので乗らなかったが)。そのコールのおかげかどうかはさておき、今季の指揮を原博実が執ることになったわけだが、状況は芳しくない。だからと言って「ハラトーキョー」と叫んだ私が掌を返し「何やってるんだ」と書いたところで、読む人からすれば「何言ってんだ」と感じることだろう。私もそう思う。
「ハラトーキョー」とコールしたことに対するケジメをいつか取らなければと考えていたので、この柏戦を機に選手に対するブーイングを一切止めようと思う。そして試合についての寸評も差し控える。たとえ今季がどんな状況に陥ろうとも「私自身が望んだ結果」と受け止めることにした。試合に対する指摘などが読みたければ、是非とも去年の段階で当時の指揮官を評価していた(もしくは彼のやり方に理解を示していた)方々のblogを読むよう薦めたい。

試合について触れないとなれば何を書けばいいのか。差し当たって初めて日立台を経験したことを書き留めておこうと思う。噂に聞いた「劇場」は予想以上だった。サッカー専用のスタジアムはいくつか経験してはいるが、日立柏だけは別格のように思う。「ピッチに近い」という言葉にレベルがあるとすれば、かなりの高レベルだ。その上柏のゴール裏からは、選手達をサポートできる喜びみたいなものを感じた。2年前の日立台については報道やサポーターのblogなどで伝え聞いたレベルでしか知らないのだが、J2降格を経験した者達が、それぞれの立場で必死に建て直しを図り、かつ歩み寄ったからこそ今現在の姿があることは想像に難くない。試合前、おそらく中心部にいる人達がトラメガで何かを言いながら黄色い物を配り歩いている姿を確認してうらやましく感じた。自分達の「楽しい」を積極的に他の人へ伝えようとするその姿に。

かつてこのカードが「金町ダービー」と呼ばれた頃の雰囲気がどのようなものだったのか知る由もないが、試合直前までぽっかり空いていた東京のゴール裏を眺めていて、伝え聞くような「ネタコールの応酬」が行われたのか、私には全く想像できなかった。