2008年1月 9日

移籍報道とメディア・リテラシー

FC東京に熱を上げるようになってからこの方、シーズンオフが非常に疲れる時期だと感じるようになった。自分が好きなクラブのことだけに、各種報道に対していちいち感情を露にすることはないにしても、冷静に受け止めることはなかなか難しい。もし大学時代にジャーナリズムを専攻していなかったら、今シーズンは身が持たなかったことだろう。

本来なら、加熱する移籍報道を例にとって「メディア・リテラシー」とは何かを説明し、「○○移籍!」なんていう煽り報道を100%信じるのは健康に悪いですよ、という方向に持っていこうと思ったのだが、Wikipediaにある「メディア・リテラシー」の項目を読んで挫けてしまった。非常に良くまとまっている上に、私が主張したいことももれなく書いてあったからだ。以下に抜粋してみよう。

何か一つの物事(物、人物、集団、出来事等)に関する情報を伝える際、その物事の「全て」を伝える事は物理的に不可能
情報を伝えるには、表現者が必ず何かしらの編集を行わざるを得ず、そうして伝えられる情報は必ず「実際の物事の姿」とは異なるものとならざるを得ない
一方、一つの物事についての捉え方(例えばその物事に対する感情、評価等)は、個人あるいは組織によってそれぞれ異なる
同じ物事に関する情報であっても、表現者が違えば伝えられる情報も、必ず異なってくる。そして、いずれの情報の内容も、伝えようとする物事の「実際の姿」とは異なったものとなっている
つまり、一次情報といえども、必ず何らかのフィルターを通ってきているものであり、まったく方向性を持たない情報は無い
表現者の編集次第では、情報を意図的に改変・誇張して発信する(情報操作)事により受信者(聞き手、読者、視聴者、世論等)の考えを一定の方向に誘導する事も出来る
受信者の側に立つ人間には、発信された情報を受け取る際、「その情報は信頼できるかどうか」を判断する事はもちろんの事、「その情報にはどのような偏りがあるか」「 さらに一歩進めて、その情報を発信した側にはどのような意図・目的があるか」(つまり、なぜ、わざわざ、そのような情報を流したのか? なぜ、わざわざ、そのように編集したのか?を考えること)等を始め、各種の背景を読み取り、情報の取捨選択を行う能力が求められる

例えば、中田英寿は現役時代に自身のブログで散々「マスゴミの情報に踊らされるな」といった趣旨の主張を行っていたが、それを真に受けて「そうだ、マスコミは糞だ!」と考えるようではいけないのである。もっと卑近かつ分かりやすい例を挙げれば、サポティスタで取り上げられる記事(と管理人の主張)には偏りが見られ、おそらく管理人自身もそういう偏りは自覚しているだろうから、「偏向している」という批判は意味がない。寧ろ、そういう偏りを踏まえた上であのサイトを閲覧した方がよい。小泉政権絶頂期の頃、盛んに「ワンフレーズポリティックス」という言葉が叫ばれたが、「ワンフレーズ」に集約するため切り捨てられた「フレーズの残骸」を漁る姿勢が肝要なのだ。

移籍報道に対してリテラシー能力を利用するならば、「どの媒体が報じているのか」を確認した上で、それぞれの媒体の「精度」を検証するのだ。具体的には、今野泰幸の移籍報道に対して「どの段階で」「どんなニュアンスで」報じていたのかをチェックする。例えば「浦和移籍秒読み!」といった感じに煽っていたスポーツ新聞を仮にH新聞としておくが、H新聞だけが「東京に所属する○○、××へ移籍決定!」と報じていたとしよう。ここでH新聞は信用ならないと考えるのは早計である。「H新聞の特ダネ」という可能性もあるからだ。そんな時は同業他社の動向をチェックする。もし特ダネならば、形はどうあれ一両日中に他のスポーツ新聞でも「○○が××へ移籍」といった報道がなされる。精度が低ければ、他の新聞社から見向きもされない。では、FC東京の「機関紙」たる東京中日スポーツでのみ報道された場合はどうなのか。「ほぼ確定」という見方もできるかもしれないし、クラブが意図的に情報を流すことによって動向を探っているのかもしれない。他の新聞社は報道しているにもかかわらずトーチュウだけが沈黙を守っていれば、結果的に肯定していると受け取ることも可能だろう。

長々と述べてきたが、この時期の「決定的」だとか「濃厚」だとかいった刺激的な文言は、シーズンオフで売れ行きが落ちるであろうスポーツ新聞が一部でも部数を伸ばすための販促活動なのだと割り切って眺めるのが無難である。いちいち真に受けていたら体が持たないと思う。

2008年1月 1日

「Dynamite!」と「ハッスル」がそれぞれ見せたかったもの -新年の挨拶にかえて-

新年あけましておめでとうございます。旧年中にこのサイトをご覧になった皆様には大変お世話になりました。今年も「つぶやきばblog」ご愛好の程、宜しくお願い申し上げます。

さて、大晦日は「Dynamite!」と「ハッスル」をザッピングしながら視聴していたが、この興行を通じて観客や視聴者へ何を見せたいのか、何を以って楽しませたいのか、という点に注目していた。見ていてそれらがハッキリしていたのは「ハッスル」だった。
地上波の深夜とCS以外の場所で目にすることがなくなった旧来のプロレスと一線を画した「新しいプロレス」を、プロレスそのものにほとんど興味のない視聴者に披露するプロモーションの場である、という意識が非常に明確だった。そのような印象を持った一番の原因は、オープニングに和泉元彌の試合を持ってきたからだ。
「ハッスル」という興行のスタンスは、創設当初から「プロレス」ではなく「ファイティングオペラ」と表現していたことからも明らかなのだが、その辺の事情を知っているのは旧来からのプロレスファンだけで、大多数の方にとっての「ハッスル」とは、「和泉元彌が出た」「HGの再就職先」「インリンの主戦場」とかいった認識がせいぜいだろう。では、そういう認識を持った方が、実際にHGやインリンのムーブを見たかというと言うとそうでもない。地上波で見られるようになったのは最近なのだから、所謂ワイドショーネタとして触れられたのをたまたま目にしたか、耳に入った程度だろう。だからこそ、これまでのハッスルの歴史で一番大きくワイドショーに取り上げられたであろう、和泉元彌の試合をテレビの冒頭に持ってくることで、視聴者の関心を惹こうとしたのだと思う。そういう意図がなければ、最初から大晦日の興行に触れればいいのだから。

一方「Dynamite!」、「自社で育てた選手達が勝つシーンを見せる」という、イベントゴーアーと固定選手のファンをメインターゲットにした「TBS的」という表現が個人的にはしっくりくる番組構成。魔裟斗やKIDといった「スター選手」に対して、同等の実力を持った選手との対決を組まないのは、「格闘技という名の興行」を運営していく上で不可欠な視点だ。ただ、消滅したPRIDEの後釜を狙うのであれば、従来の方針を転換させなければならないだろう。
同日埼玉で開催された「やれんのか!」提供カードである、三崎和雄対秋山成勲。会場の盛り上がりはテレビから見ていても異常なものだった。相手が「あの」秋山だったこともあるのだろうが、盛り上がってるのか盛り上がってないのか分からないDynamite!の会場と比較すれば、PRIDEという「場」がどれだけの総合ファンを魅了していたのか明らかだった。かつてPRIDEを観戦していた時に感じた、一体どっちが勝つのか一秒たりとも目が離せないという緊張感を味わえたのも、この試合だけだった。
TBSはチャンスなのだ。PRIDEが消滅した今、地上波で総合格闘技を観戦できる機会はTBSにしか作れない。だが、PRIDEが何故あれほどまでに人気を博したのか考えなければかつてのような盛り上がりは見込めないだろう。ヘビー級のトップファイターがクロアチア人とロシア人とブラジル人だったにも関わらず興行として大成功を収められたのは何故なのか、ミドル級のトップファイターが日本人からブラジル人へ代わったにもかかわらずブラジル人へ人気が集中したのは何故なのか、そういう点を考慮に入れず「俺達がありとあらゆる手を使ってプッシュすれば、どんな選手でも人気が出る」と考えているようなら、格闘技ファンは2回目の「やれんのか!」を求めるだろう。

今年はオリンピックイヤーということで、この場で文章を書く機会は増えそうな気がする。2008年も、色々なスポーツを観戦して、自分の思うところを表現して行こうと思う。