熱い熱い「おとぎばなし」 - 藤田和日郎『月光条例』(小学館) -
絶賛サボり中の書評。今回はマンガです。
かわいそうな『マッチ売りの少女』が嫌いで、僕はこいつら生み出した。
少女を助けて戦うやつら。
でも、少女を助けるヒーローなんざ、要らないのかもしれない。
だって、少女が戦わなきゃ。
ただ雪の中、手に息を吹きかけて泣いてちゃ、誰もふりむいちゃきれないもの。
戦わなきゃ。しんどくても辛くても、自分でやんなきゃ。
ああ、ああ、そういうコトか、だから自分は『マッチ売りの少女』が嫌いだったんだ。
『背中をまるめてマッチなんぞすってるんじゃねえ』うしおととらは、つまり・・・そういうヤツらだったんだ。
『うしおととら』の最終巻に書かれていた文言である。そんな著者がおとぎ話を題材としたマンガを描くのだから、世の中は面白い。
藤田和日郎は大好きな漫画家の一人で、単行本化されたものは全て目を通している。上述の『うしおととら』や『からくりサーカス』は週刊少年サンデー連載だったが、『からくりサーカス』終了後はスピリッツで『邪眼は月輪に飛ぶ』、モーニングで『黒博物館スプリンガルド』と、青年誌での連載。『月輪』『スプリンガルド』共に藤田作品の特色である「登場人物の熱さ」はそのままに、青年誌の読者層を意識した世界観が構築できていたので、主戦場が青年誌に移ったものとばかり思っていたが、新連載の舞台は週刊少年サンデー。サンデーに限らず週刊少年誌を立ち読みすらしなくなって久しいので触れる機会がなかったのだが、平野耕太『以下略』(ちなみにこのマンガは非常に人を選びますが、これを読んでゲラゲラ笑える人は確実に私と同類なので、いいお友達になれると思いますw)で「面白い」と書いてあったことで興味を持ち、軽い気持ちで1巻を買ってみたのだが・・・次の日には既刊全部買い揃え、先日発売された5巻は当日に購入した。あらすじはまとめるとこんな感じ。
何十年かに一度、真っ青なお月さまの光が地上に届くと、「おとぎばなし」の世界がおかしくなる。具体的には、青い月の光を浴びたおとぎばなしの登場人物がおかしくなり、「読み手(ニンゲン)の世界」で暴れまわる。「おとぎばなし」の長老達は話し合って『月光条例』という法律を作った。法律と言っても条文は一つだけ。「青き月光でねじれた「おとぎばなし」は猛き月光で正さなければならない」。そのための「執行者」として選ばれた「読み手の世界」の人間・岩崎月光は、幼馴染のエンゲキブ(あだ名で本名は不明)、「おとぎばなし」の世界の使者・鉢かづき姫と共に戦うことになったのだが・・・。
「おとぎばなし」がベースになっているので、基本的にはおかしくなった登場人物がどう描かれるかで面白くもなるしつまらなかくもなるのだが、この「崩し」が秀逸かつ非常にスケールが大きい。巨大化・凶暴化するのはデフォルトなのだが、例えば「三匹のこぶた」でおかしくなった狼の息は、国会議事堂を吹き飛ばした。「一寸法師」では鬼の金棒が猛威を振るうのだが、その威力は8億トンの土砂を巻き上げ、地球を氷河期一歩手前にまで追い込む。「シンデレラ」でおかしくなったのは主人公・シンデレラで、何故かスピード狂になって走り屋達のバイクや車と勝負しては壊して回る。「おむすびころりん」でおかしくなるのは「転がっていくおにぎり」で、人間を襲うところなどはパニックムービーのノリそのもの。荒唐無稽な設定と言えばそれまでなのだが、それで興ざめしたりしらけたりすることが全くなく、むしろ物語にぐいぐいと引き込まれる。「熱い物語」を書かせたら右に出るものがいない藤田和日郎の真骨頂と言えるだろう。
そこで冒頭の引用文である。「マッチ売りの少女」が一体どのような物語に生まれ変わるだろうか。月光が「少女」に「背中をまるめてマッチなんぞすってるんじゃねえ」とハッパをかけるのか、はたまたおかしくなった「少女」が暴れまわった末、何かをつかむのか。今から楽しみでしょうがない。
【蛇足】
藤田作品の女性キャラは魅力的な方が多いのですが、今作品のエンゲキブと工藤、ツボすぎて困りますw
