2008年2月12日

ギブス脱着記念更新

前回のエントリーで左肩を脱臼したことを書いたが、今日の診察で医者からギブスを外して生活していいという許可が下りた。来週からリハビリが始まるので完治したとは言えないが、今は両腕を自由に使える喜びに浸っている。片腕ながら徐々に進めていた引越しも今週末に決行だ。新居から味スタまで自転車通いをする予定なので、開幕までには自転車が運転できるようになっておきたい。その前に、懸案である小平詣でを敢行したいが、こちらは時期的に3月第1週しかないので、出来るならばこの週までに自転車運転が出来るようになっていればいいのだが・・・。

とりあえずご報告まで。ご心配をおかけいたしました。

2005年11月25日

私は何故風俗に行かないのか。

私は何故風俗に行かないのだろうか。その理由を考えた時に漠然と浮かんだのは、「真性童貞が風俗行って童貞捨てたら負けかなと思っている」という考えである。これまで恋愛経験のない人間がさも人間として劣っているという偏見に対して反抗してきた私が、何と「風俗で童貞を捨てるのは恥」という偏見は無条件に受け入れていたのだ。渋谷友美「日本の童貞」で主張されている事を一言でまとめれば、「童貞」およびその捨て方に対するイメージは時代によって変わっているということである。私が風俗に行けなかったのは、現在「童貞」という言葉の持つネガティブなイメージ及び、恋愛関係を結んでセックスすることが至上の価値を持つという考えを私が絶対視していたからに他ならない。だからこそ「負け」などという、私がもっと忌憚する愚劣な考えが浮かんでしまうわけである。そもそも「オタク」に対するネガティブイメージに対して、恋愛経験がない人間に対するネガティブイメージに対して私が牙を向くのは、「それぞれのネガティブイメージを共有している人間が多数派である」という以外に根拠もなければ正当性もないが故である。にもかかわらず「童貞」に関するネガティブイメージと対峙した時、私は多数派の意見を肯定してしまっている。これを自己矛盾と言わず何と言おう。

私がどういう形で童貞を捨てるのかは分からないけれど、このエントリーを読んで自分の中の矛盾が発見できたことは幸運だった。そしてこの矛盾に気付いた時、何かが少し楽になったような気がした。

2005年11月17日

「門番」に裏切られないために

私個人に限って言えば、「門番の内通」に悩まされるのもあと僅かだ。私は今25なので篭城戦をあと5年ほど続ければ門番などつけなくても我が領土に侵攻せんとする「敵」などいなくなる、という何の根拠もない確信があるからだ。そもそも我が領土は辺境、不毛、戦略的価値が皆無という三重苦を抱えているから敵に攻められた経験はないし、篭城することしか能のない私を裏切るのは門番というよりも「軍師」が呟く言葉だ。曰く「そのうち勝てる」。曰く「この戦力なら城外戦でも戦える」。曰く「殿が堂々としていれば万事上手く行く」。歴代の軍師が「私の戦場における経験値」という点を見落としている気もしたのだが、彼らとの信頼もあるのでそれならばと打って出る。その結果は「見るも無残に返り討ち」もしくは「イケメン軍が勝ち鬨を挙げるのを間近で目撃」のどちらかだった。

だが今の私には「電波男」「萌える男」という経典がある。これらの経典を手に入れたことで、その内容を一言一句諳んじることができ、なおかつその理念を完璧に理解した者にのみ軍師を任せることにした。するとどうだ。もともと攻めてくる敵がいないのに加えて、城外戦に打って出ようと訴える者もいないくなったのだがら、我が領土は平和そのもの。後は内政に励むだけだ。

以上、私の現状を語ってみた。「全ての防壁を無効化する“惚れる”というアクシデントに、男達はどう対峙するのか」という問いに対する回答は、表題の通り「惚れたら死」という想念を強化していく、といったところだろうか。具体的に言えば、「私のようなキモい人間が特定の女性に惚れたところでどうなるものでもない」と思いを抱き、それをリアルなりこのサイトなりで発信する(その為にキモメンを晒したりもする)。すると「どうなるものでもない」などと発言している人間に惹かれる女性はいないから私の周りから女性が引いていく。それでまた私は「惚れてもどうなるものでもない」という思いを強く抱き発言する。そのことによって女性が私から引いていき・・・というループを繰り返していく格好だ。同時並行で「性欲を消滅させる方法」も模索していきたい。新興宗教とかカルトとかに関わらず、金をかけない方法で。

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2005年11月 7日

頑張って捨ててみよう

さて、やってみよう。尚、ここでいう「オタク」とは「偏執しているもの」という意味で捉えていただきたい。


  1. 野球に関する興味関心

  2. サッカーに関する(ry

  3. プロレスに関する(ry

  4. 格闘技に関する(ry

  5. モータースポーツに(ry

  6. 映画に(ry

  7. 漫画(ry

  8. アニメ(ry

  9. 「ストッパー毒島」全巻

  10. 「げんしけん」既刊全て

  11. 「蟲師」(ry

  12. 「仮面ライダーSPIRITS」(ry

  13. 「最強伝説黒沢」(ry

  14. 「吼えろペン」及び「新吼えろペン」

  15. 「でろでろ」

  16. 「capeta」

  17. 「Beck」

  18. 「イキガミ」

  19. アフタヌーン四季賞クロニクル

  20. 「Lier Game」

  21. 鬼ノ仁の漫画、同人誌

  22. 月野定規の(ry

  23. 師走の翁の(ry

  24. 友美イチロウの同人誌

  25. ダウンロードした同人誌、及びエロ画像

  26. 本田透の著作全部

  27. 「君が望む永遠」

  28. 「fate/stay night」

  29. 「fate/hollow ataraxia」

  30. 「碧ヶ淵」

  31. 「ガジェット」

  32. ザクのプラモデル

  33. 綾波レイの水着フィギュア

  34. スターウォーズクラシック3部作のDVD-BOX

  35. 「Jackass」のDVD-BOX

  36. 「COWBOY BEBOP」DVD-BOX

  37. 「Kill Bill」

  38. オーロラプロジェクトのDVD

  39. S1のDVD

  40. 「faily doll」シリーズのDVD

  41. 「真三国無双4猛将伝」

  42. 「ウイイレ8LE」

まだ半分も行ってない…。まだいくつか書けそうだけど、私の部屋が大変きれいになることだけは確認できたので、もう止めます。一生偏執狂で構いません。
尚、知らない単語をググった結果、公序良俗とか色んなものに抵触するサイトにぶち当たっても私は一切責任追いませんのであしからず。

2005年10月28日

気になったもの、笑ったもの

「ツンデレ」もいいけど、「素直クール」も捨てがたいな…。

2005年10月24日

実験

「つぶやきば」ではメイントピックだった「喪」関連の話を、このblogのスタイルで書いたらどうなるか、という実験。

「処女でなきゃ駄目だ!」と思ってる人の中には、処女性以外の観点で女性の魅力を認識できていないためにそうなってしまってる人もいるんじゃないだろうか。それ以外の、例えば、普通に話が合うとか。極端な話、「話の合わない処女」と「話の合う非処女」どっちと恋愛したいかというような問いにもできる。
outsider reflex「処女非処女」

出来ることなら肉体関係を持ったことのない女性とお付き合いしたい、と思っているけれども、それは「処女性以外の観点で女性の魅力を認識できていない」というわけではない。勿論「恐ろしい」ということもあるけれど、「恋愛=セックス」という価値観の女性とは妥協点が見出せないからだ。

まず、「恐ろしい」という理由を説明するのに、こういうシミュレーションをしてみよう。私がとある女性と付き合うこととなった。その女性は、私と付き合う以前に、1人の男性と2年間交際していたという。日本人の平均年間性交回数は46回というデータを基にすれば、経験の差は「0対92」。キャリア1年目の序の口力士が、幕内の力士と対戦するようなものだ。そして交友関係が2年、3年と延びていくごとに、「幕内の力士」が「三役の力士」、「横綱」、しまいには「朝青龍」となるわけである。序の口力士が自分の糧となるような経験をするには、同じ序の口か、もしくは序二段の力士に胸を借りるのが丁度いい。無謀にも朝青龍に挑むと、こういう事態になる。

416 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2005/09/01(木) 20:01:37 0

105 名前:名無しさん ~君の性差~ 投稿日:2005/08/23(火) 19:02:41 ID:WXmjlMtZ

「あんたなんか、私の初めての男に比べりゃ下の下なんだよっ」
昔、妻とほんのちょっとしたことで喧嘩になったときに言われた台詞だ。
それまで過去の男のことなど気にしてなかったけど、
さすがにこれは効いたわ。
「‥そっか、そうだな。うん。わかった、もういいよ」
とかだけ答えて、
そそくさと便所に引っ込むのがやっとだった。
我慢できなかったな。声を出さずに泣いたよ。
ずっと後になって、きっと妻は、
初めての男に比べて劣りまくる漏れを
ずっと不満に思い続けてきたんだろうな、
とわかるようになった。
非処女を嫁にすると、こういうこともあるとだけ言っておくよ。
もう漏れにはやり直す気力も何も残っちゃいないが、
他の男にこんな惨めさを味わって欲しくない。
「夏の葬列」2005年9月3日

こういうことを書くと、「やっなりお前は処女じゃないと駄目、という価値観なんだな?」と言われそうだが、事はそう簡単ではない。こんな事態も想像されるからだ。

485 名前:('A`) :2005/10/23(日)
処女妻でも↓セックス覚えてこんなになると嫌だなぁ・・・。

271 名前: 名無しさんといつまでも一緒 2005/05/12(木)

結婚するまではぜったい処女でないといけないと固く信じてたし。
結婚してからも絶対浮気なんかしないと思ってた。
結婚した。私の目から見てもモテナイ感じだけど、
真面目がとりえって感じの人。
幸せだった。絶対浮気なんかしないと固く誓った。
でも妊娠中、彼が風俗に行ったのが分かった。
彼は私に何も言わなかったけど友達が見てた。
いわゆる本番は無しのところらしい。私が水を向けるつもりで、
「最近寂しいんじゃないの~?
風俗とか行っちゃったりしてない?」
って聞いてもしらばっくれ。私の中で何かが壊れた。
ゼミの同窓会で久しぶりにあった大学の先生に抱かれた。
教授のは、彼の不器用なセックスとはぜんぜん違う。
エスコートもうまいし、デートもおしゃれだし、夢中になった。
彼は素敵なレストラン知りもしないし、知ろうともしない。
彼は胸をガツガツ揉んで入れて出すだけ。
体中がこんなに感じるなんて知らなかった。
教授とはまだ続いている。
趣味のサークルで知り合った彼、ネットで知り合ったお医者さん、
みんな彼とは違ってそれぞれに素敵な人たちだ。
やっぱり、何事も知らないよりは知っているほうがいいんだな、って思った。
抱かれた男の数は10を超えた。
ヴァージニティが大事? ハァ?なにそれ?
「夏の葬列」2005年10月24日

要するに、処女だろうがなんだろうが、「男女の関係において、最強のコミュニケーションはセックスだ」という価値観を持たれる全ての可能性が恐ろしいのだ。
私は友人達から「自分に自信を持て!」とよく言われるが、一応私は私なりに自信を持っている部分もある。だがその自信は「対同性との関係」においてのみ持ちえるものであり、「対異性との関係における自信」には転化しない。簡単にいえば、「人間としての魅力」と「男性としての魅力」が私の中で相関しないのだ。「外見はブサイクだけど、中身は自信あります!!」なんて口が裂けても言えないが、同性の友人が私の魅力として認識している箇所と、一般的な女性が男性を見て魅力だと感じる箇所は、全く違うのだろう。

25にもなってこういうことを言い出すのは非常に恥ずかしい限りなのだが、私は「好きな人と手を繋ぐ」という行為に憧れている。好きな人と手を繋いで町を散歩したり、一緒にスポーツ観戦に行って盛り上がったり、映画を見て感想を言い合ったり、お互い好きな本を交換してみたり・・・。私が無謀にも、特定の異性と関係を持ちたいと思ったとき、妄想するのはそんな風景であり、セックスしたい、という妄想はあまり沸いてこない。というのも、「リアル(現実)」を三次元、「アンリアル(仮想現実、虚構)」を二次元とするならば、私にとってセックスとは「二次元」だからだ。AVだろうが同人誌だろうが、セックス描写がある限りにおいて、全て私の中で二次元として処理されてしまう(一般向けの同人誌のみ嗜好する人間がいれば、それそこが本当の「萌え」なのだろうと個人的には思う)。本番ありの風俗にでも行けば、多少は考えが変わるのかもしれないが、幸いなことに私の可処分所得は本とか漫画とかスポーツ観戦費に当てられるので、そんな余裕はないし、仮に余裕があったとしても、性欲の発散が目的ならばAVなりエロゲーなりを購入した方がよっぽど経済的だ。

多くの友人が言う「いつかお前にも彼女が出来るよ」という言葉を信じて、私がどういった異性と恋愛関係を築けるかをシミュレートした結果、「『子供を作る行為』以外に、セックスに何らかの価値を置いている女性」との恋愛関係は破綻を来たすことが目に見えているので、「肉体関係など一切なくとも、二人でいろんなところへ行って、たくさん話をして、それだけでもう幸せだと感じてくれる、童貞を見下さない、イケメンの甘言やそのルックスに心を動かされない女性」としか関係を結べない、という結論に至った。それで、「映画秘宝」を愛読しているとか、南海時代からのホークスファンとか、特定の選手よりも「FC東京」というチームにコミットしているサポだとか、死ぬほど本が好きだとか、そういう女性ならば完璧だ。じゃあ性欲はどうするんだ?という問題は、お互い同人誌なり動画なりで発散すればいい。極端なことを言えば、私とセックスがしたいと思わない(それでいて他の男と肉体関係を結ばない)女性であればいいのだ。

こういう女性が存在するかどうかは、確率上ゼロではないかもしれないが、「確率上ゼロではない」という物言いは、「100%不可能」と同義である。それに加えて、私に「男としての魅力」を求めたところで、ない袖は振れないし、「男友達には事欠かないが25年神聖童貞」という事実が、私にそういう魅力が皆無であることを何よりも証明している。よって、肩肘張って「護身!」と叫ばずとも、私の護身は自然と完成していくのだろう。こういった考えを持ちつづけていく限り。

書き上げるのに3時間かかりました。もはや救いようがないですねw

続きを読む "実験"

レインボーブリッジ

通行路は上下2段になっており(瀬戸大橋同様のシステム)、上段に首都高速道路11号台場線、下段に一般道路(車道および歩道)と新交通システム・ゆりかもめが通っている。
(レインボーブリッジ -Wikipedia-)

知らなかった。てっきり上段だけにしか道路は通ってないものだと思っていた。まあ台場に行く用事など皆無だし、ビッグサイトに行くとしても、りんかい線を使うので知らなくて当然なのだが。

2005年10月20日

「オタク」考

こういった問題は、「オタク」という言葉の指し示す範囲が広大すぎるから発生するのだろう。少し時代を遡れば、「自分の趣味に没頭する、いい年した大人」に対して、世間は「○○バカ」とか「○○キチ」とか「○○マニア」と呼んでいたし、ジャンルを問わず偏執狂的な属性を持つ人間が「オタク」と十把一絡げにまとめられるようになった現在でも、未だに鉄道マニアだけは「鉄ちゃん」と呼ばれる。そもそも、程度の差こそあれ、自分が偏執狂である自覚のある人間は、一度くらいは「オタク」の代表格としてアニメバカが挙げられる現状に対して疑問を呈した事があるはずだし、現在の「オタク=萌え」というイメージに対して違和感を感じることも少なくないはずだ。

では、メディアで流布される「萌え=オタク」というイメージは、オタクをよく知らない人間が勘違いして使っているだけなのだろうか。おそらく、彼らは勘違いと思ってないのだろう。前回のエントリーで、「オタク」という言葉に付きまとう負のイメージの元凶は宮崎勤にある、と述べた。宮崎の事件によって、「オタク」と聞いて多くの人が真っ先に連想する人物像は、「現実の女性に相手にされずに二次元へ逃避し、現実と虚構の区別がつかなくなった人間」となった。一言で表せば「フリークス」だ。だから、二次元キャラクターに対する愛情(もしくは欲情)を「萌え」と言って肯定する人間は、「常識」ある多数派からしてみれば「フリークス」以外の何者でもなく、「オタク=萌え」となるのは、至極当然の流れと言えるだろう。
最近ではモテない人間とか暗い人間に対する蔑称として「オタク」という言葉が使われることがあるけれど、これも「偏執狂」という意味で「オタク」と呼んでいるわけではなく、彼・彼女にとって「キモイ」と判断された人間は皆「オタク(フリークス)」なのだ。タモリやみうらじゅん、荒俣宏が「オタク」とカテゴライズされないのは、「お昼の顔」「マイブームの仕掛け人(サブカルの代表格)」「作家」という才能溢れる人間が「オタク」であるはずがない、という考えがあるのかもしれない。

よって、「動物化していないオタク」をオタクの新たなイメージとして定着させることは相当難しい。「オタク」はいつだって「フリークス」でなければならないからだ。「オタク=萌え」という誤解を解くために一個人ができることといえば、「オタク」という言葉を一切使わず「○○マニア」「○○バカ」「○○好き」「○○ファン」等を使うか、自分の顔見知りを相手にして啓蒙していくことくらいしかできないだろう。
前者に関しては、未だに「おたく」という平仮名表記にこだわる大塚英志を例に挙げることができるだろうし、私が「つぶやきば」のタイトルを「PRIDE OF OTAKU」とせずに「MONOMANIAC」としたのは、私自身が「萌え」についていまいちピンとこなかったことも大きく関係している。
後者に関しては、もっと骨の折れる作業だ。まず話す相手が自分の与太話を聞いてくれるくらいの仲になられければならないし、相手にも自分の先入観を疑ってかかる柔軟性がなければならない。先日、とある女性が「オタクとだけは結婚したくない」とぼやいていたので、これ幸いとばかりに「あなたがイメージするオタクとはどういう人間なのか」と問うたところ、彼女はこう答えた。「女装趣味」と。流石に上に書いているようなことを延々と語ることはしなかったけれど(そんなことしたら、それこそ「オタクキモい」だ)、「それは偏見だよ」とは言っておいた。彼女が今、オタクに関してどういうイメージを持っているのかは知らないけれど・・・。

以上、「萌えブーム」について考えたことを長々と綴ってみた。最後に「萌えブーム」が今後どうなるのか、についての予測を簡単に。「萌え」という言葉がメディアで踊るのもあと半年、短ければもっと早く収束し、一般化することなどまず有り得ない。レイザーラモンの「フォー!」とどちらが長くメディアで消費され尽くすか、といったところだろうか。

2005年10月13日

「ブーム」考

「ブーム」とは何だろう、と考える時、私がいつも思い出すのは叔父の言葉だ。
叔父は趣味でソムリエの免許を持っていて、2年か3年くらい前、焼酎ブームの是非について話をした事がある(森伊蔵・魔王にプレミアがついて話題になり始めていた頃だった)。その時私は「そういえばワインブームってあったけど、あれと同じくバブルが弾けて終わるのだろうか」と振った。すると彼はこう答えた。
「ワインに関して言えば、バブルが弾けたんじゃなくて定着したんだ。」
理由を聞いたら、こういった類の話をしていた。
「昔は白木屋や魚民など、大手チェーンの居酒屋で、ワインはメニューの中になかったけど、今では何種類か飲むことがことができる。巷では焼酎ブームだと言われているけれど、未だ焼酎と言えば「いいちこ」か甲類焼酎の類しかメニューにない。これが芋焼酎なんかに替わる時が来たなら、焼酎は一過性の流行ではなく定着したと言えるだろう」と。
そういえば、Jリーグも創設から数年で観客動員が激減して「バブルだった」と分析した者も少なくなかったが、数字だけを単純比較すれば、昨年の平均観客動員はJリーグバブル華やかなりし頃と変わらない数字になってきている。「文化」と呼ぶには早すぎるけれど、その核みたいなものは出来つつあるのではないかと思う。

さて、巷では「オタク」や「萌え」がブームだと言われていて、その物言いにずっと違和感を感じていたのだが、森達雄「ドキュメンタリーは嘘をつく」の「最近はドキュメンタリーブームだ、なんて言われてるけど、あれはマイケル・ムーアブームであって、ドキュメンタリーそのものがブームなのではない。」という文章を読んだ時に気が付いた。今のオタクブームは「電車男ブーム」と言い換えるのが適当なのではないのか、と。一口に「オタク」と言っても、嗜好する物は人それぞれなので、十把一絡げにまとめることはできない。野村総研がオタク市場を分析して話題になったけれど、あの統計に関しても「消費」という観点での分析でしかない。私のようにキャラクターグッズやアニメのDVDをほとんど買わないような人間も少なくないはずだ。そもそも、一般にオタクと聞いて連想するであろう、「アニメ」「漫画」「ゲーム」。ジャンルにメジャー・マイナーの違いはあれども、どれも日本を代表するサブカルチャーではないか。

では、昨今メディアを賑わすオタク記事とは何なのだろうか。それを考えた時に思い浮かんだのは宮崎勤だった。日本におけるオタクのイメージを語る上で欠かすことのできない男である。残虐非道な犯行によって「ロリコン」「犯罪者予備軍」「コミュニケーションが取れない」などといった、オタクのネガティブなイメージが多くの国民の間で定着したのは、この男の所業である。そして、「電車男」人気も、このステレオタイプがベースにあってこそ人気になったのではないか、と思っている。オタクに根拠なき偏見を持つ者にとって「電車男」とは、オタクという「怪物」が恋愛によって「人間」へと生まれ変わる、感動の物語なのだ。よって、「電車男」以降メディアの露出が増えた理由は、これまでのオタクのネガティブイメージの反動でしかないのだろう。タチが悪いのは、ネガからポジに変わっただけで、依然としてオタクを見下す視線に変わりはない点である。

確かにここのところオタクに関する記事や特集が増えたとは思うが、それは決してブームでもなんでもなく、メディアという「外野」がオタクのイメージを切り売りしていて何かと姦しい、というだけの話なのではないだろうか。そもそも、ちょっとメディアが取り上げたからといって、オタクが露出ウゼェとか、いつ梯子を外すのか、と警戒することこそあれ、「俺たちの時代が来た!」と(オタクの世代間闘争で主張することはあっても)一般人の中で増長することなど考えられない。「萌えブーム」が去ったとしても、オタクの聖地が秋葉原から中野に居を移したとしても、萌えることのできるオタク達は変わらず萌えるだろう。よって、メディアのオタク特集には「反応したら負けかなと思っている」という態度で臨むのが一番望ましい。まぁくらたまの「電波男」記事に釣られた私がこんなことを言っても全く説得力がないのは重々承知しているのだが・・・。

2005年10月 7日

新装開店?

Movable Typeのアップロード作業をしていたら、いらん事やったせいで失敗。記事のバックアップは残っていたので一から作りなおし。そんなわけで、心新たに頑張りますのでよろしくお願いします。

動員数は再掲載しようとすれば大変手間がかかるので、しません。あといくつかの記事についてもクオリティやら何やら考えて再掲載はしてませんので悪しからず。

2005年10月 4日

「エンタ!検定」をやってみる

以下結果。

あなたの総合得点は76点  全国平均 60点
全国順位(10月4日 21時現在)
500位(7462人中)
--ジャンル別得点表 ---------------
    0_________10__________20点
映画  ■■■■■■■■■■■■■■■■■
テレビ ■■■■■■■■■■■■■■■■■
音楽  ■■■■■■■■■■■■■■
書籍  ■■■■■■■■■■■■■■■■
芸能  ■■■■■■■■■■■■
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--講評---------------------
あなたは「エンタの玄人」
あなたは忙しい仕事や勉学のかたわら、世間の流行情報
チェックを怠らない努力家に違いありません。すべてのジャ
ンルにおいて偏りなく平均的に知っています。仲間内では
すべての会話についていけるムードメーカーとして活躍で
きるでしょう。次は1つのジャンルを深めてみてはいかがで
しょうか。解答の傾向としては、特に「海外」ネタに詳しい
ですね。
-------------------------

日経エンタテイメントなど一切読まなくともこれくらいは取れる、ということか。まぁ知識を持っていても、それを発揮する場所がなければどうしようもないわけだが。

2005年9月27日

「健康」という大義名分

「健康」という大義名分に勝るものはなし、といったところだろうか。こういった意見が、そのうちこういう風に変節しないことを祈るばかりだ。
「善意で忠告しているのに、どうして喫煙者は減らないか。それは、喫煙者どもが人の善意を理解できない、私達よりも劣った人種だからだ」といった具合に。残念なことにそういう「空気」になりつつあるわけだが…。

大学にいてよく分かったことは、喫煙は女性受けが大変悪いということだ。どうやって護身すべきか迷っている喪男がいるなら、私はとりあえず喫煙者になることをお勧めする(無論、あなたが容姿端麗でない限りにおいてだが。容姿端麗ならむしろ逆効果。逆にモテたい男が喫煙者など言語道断)。女性から悪魔扱い、ダメ人間扱いされること請け合いだ。勿論、喫煙マナーとTPOを遵守するのは言うまでもないことだ。

妻を娶る予定も、子を残す予定もない私にとって、自分の部屋は世界一居心地のいい喫煙室であり、それを変えるつもりは毛頭ない。もし私が肺がんで死ぬ事になっても、悲しむ必要はない。むしろ「ざまぁねぇな」と笑い飛ばして欲しい。

2005年9月22日

ワンフレーズを打破するのは・・・

衆院選の結果について何か書こうと思って書き始めたのは15日。だが、なかなか上手い文章が書けずに放置していたら第3次小泉政権が発足してしまった。せっかくなので、選挙の結果と、それを受けてのメディアの対応などを見て、雑感を述べておきたい。

「自民大勝」という結果を快く思わない人間の言説を一言でまとめれば、「多くの国民(特に無党派層)は、小泉のインパクトのある、それでいて歯切れのいい言葉に騙されて、自分の頭でモノを考えない者が増えた」といったところだろうか。だが果たしてそうなのか。そう一概には言い切れない面もあるだろう。今、読売新聞で「週刊誌はどこへ」という連載が始まっている。ポスト、現代といった週刊誌の発行部数がここ数年激減している現象をどう捉えるか、どうすべきなのか、というのがこの連載の主旨なのだが、篠田博之はこんなコメントを残している。

「若い人ほどメディア、特に週刊誌にマイナスイメージを持っている」
「見出しと中身の落差が激しい記事も信頼性を落としている。社会全体が野放図な報道にシビアになった」

メディア不信が叫ばれて久しいが、その原因のひとつとして、ポストや週刊現代(ゲンダイや夕刊フジなどのタブロイド紙)などによる与太記事や品性のない中傷記事が増え、そういった傾向が一向に改善されないことが挙げられるだろう。メディアは「権力の監視役」という性質から、どうしても政権与党には辛口にならざるを得ないが、それが効力を発揮するのは国民から信用されている限りにおいてである。信頼の無い状態で「小泉に騙されるな」などと叫んで、一体誰が信用するというのか。

はっきり言ってしまえば、この手の「騙された」なる言葉はただの負け惜しみに過ぎない。こうなった以上、いくら素晴らしい対案を出しても、見向きもされないだろう。民主党は小泉を上回る「ワンフレーズ」を編み出してぶつけるしかないのではないか。大丈夫、ブレーンなら沢山要る。今回の衆院選において、「小泉に騙されなかった」と胸を張る頭脳明晰な皆々様ならば、きっと小泉以上にインパクトのある、歯切れのいい言葉を沢山思いついてくれるはずだ・・・などと、皮肉の一つでも言いたくなる。

人前で挨拶をする機会が多かったので、「インパクトのある、歯切れのいい、短い言葉」がいかに難しいものなのか身を持って体験している。その種の言葉を1年に何回も編み出し、メディアを賑わす事の出来る小泉純一郎は、天才なのだ。それを認めた上で、小泉に対抗していくことが小泉を打破する唯一の方法なのではないか、と思う。バカだバカだと言われて世界中のインテリ層から物笑いの種にされたジョージ・W・ブッシュはしっかり再選してしまったではないか。

2005年9月 9日

明後日は投票日

解散から投票日まで、あっという間に過ぎ去ってしまった。この間色々と情報収集をしたのだが、結局「郵政民営化は国民を幸福にするのか」については判断がつかなかった。どの党に投票すれば、私が60を迎えたとき払った分だけ年金を貰えるような制度になるのかも分からなかった。NHKの政見放送などをよく見ていたのだが、どの党も自分に都合のいい将来しか語らないので、「理想は分かった。では具体的にどう実行するんだ?」と突っ込みたい気分だった。

今回の衆院選のクライマックスは、おそらく参院で郵政民営化法案が否決された瞬間だったのではないだろうか。

2005年7月26日

「お酒は20歳になってから」という欺瞞

一体何をそんなに怒っているのだろう。義憤に駆られるべき出来事は、もっと他にあるのではないのか。

初めてお酒を飲んだのは高校一年のときだ。当時応援団をやっていて、体育祭の打ち上げでカラオケに行ったときに何人かがアルコールを持ち込んだ。店の人間にバレたら未成年の飲酒ということで大変まずい事態になるわけだから、コンビニの袋から各々の鞄に隠して部屋に持ち込み、アルコール初体験と相成ったわけだが、正直言って旨いとは感じなかったので「未成年であることのリスクを犯してまで持ち込む程の代物なのだろうか」と考えもしたが、飲むたびに何となく楽しい気分にはなったし、好きだった子の頬がほんのり赤くなってきて、それが何とも言えず可愛かったので「まあこれはこれでいいか」と考えることにした。

とあるテレビ局の女性アナウンサーが未成年のタレントに酒を飲ませたということで多方面から非難されているようだが、私がそのアナウンサーにかける言葉は「運が悪かったね」程度だ。むしろ罪深いのは、酔った勢いで「通りがかった車をけって運転手とトラブルとなり、通報で駆けつけた仙台中央署員に補導された」未成年タレントの方なのではないのか。そもそも未成年者に飲酒を薦めるなど昔からありふれた話だし、20歳になって初めて酒を飲んだという人を私は見たことがない。14歳や15歳に飲酒を勧めるというなら話は別だが、仕事もして立派に給料を貰っている18歳に酒を勧めたことが、何故そこまで叩かれなければならないのか。私にはさっぱり分からない。

一般人なら別段非難されることはない事でも、「有名人だから」ということでそこにニュースバリューが生まれ、バッシングという形で消費される。芸能人とはつくづく大変だ。もし私がテレビなどで活躍して有名になったとして、秋葉原でエロゲーをまとめ買いしている姿を激写されたりしたら「ロリコン」「異常者」とレッテルを貼られるのだろうか。それなら私は普通の人間で構わない。

2005年6月13日

一億総白痴化、未だ進行中

大宅壮一と言えば、私は「一億総白痴化」という言葉を真っ先に思い浮かべる。彼がこの言葉を編み出したのは、なんと今から約半世紀前、1956年のことらしい。まだテレビが普及していなかったころの話だ。現在のテレビ事情を鑑みると、彼の慧眼には感服仕る次第である。

「メディアは公共物である」。ニッポン放送を巡る、ライブドアとフジテレビの争いで、フジテレビ側から発された言葉だ。これを聞いて、心ある人間ならば必ずこう感じたはずだ。「現在のテレビ番組で、果たして公共性に適った番組がどれほどあるというのだ」と。私の言葉を使えば、「あれだけ実のないコンテンツばかり垂れ流しておいて、何を今更・・・」といった具合である。

あの騒動を経て、フジテレビは「公共物」という役割を全うするために、放映している全てのコンテンツの見直しを図る、などといったプランを実行したのだろうか。また、フジテレビだけの問題ではない、テレビ局だけの問題ではない、と危機感を持つ人間は果たして現れたのだろうか。ケーブルに乗り換えて以来、地上波で欠かさず見る番組はニュースとスポーツ中継だけになってしまい、早朝から深夜まで全ての番組をチェックできない上に、既にそのような動きがあったことを私が知らないだけという可能性もあるので、一概にこうであるとは断定できない。ただ、猫も杓子も「花田家」「花田家」とかしましい昨今の報道を見るにつけ、メディアは何も変わっちゃいないし変わるつもりもないんだな、という思いはますます強くなるばかりだ。一体あの騒動から、私は何を感じ取ればいいのだろうか。また、あの騒動のどこに「公共性」がある、と主張するつもりなのだろうか。

何か事件が起こると、メディアは事件を起こした側に反省を促し、公衆の面前での謝罪させ、組織の改善を求める。では、メディアが過ちを犯したときはどうなのか。「メディア不信」が叫ばれて久しく、それが解消されない理由は、自らを棚に上げて他を容赦なく糾弾してそれを「権力の監視役」と居直る、傲岸不遜な態度なのではないだろうか。